通勤者のためのブログ記事を探せ!(第7回)

久々にこのタイトルで書いてみます。
というのも、4月に入りやっとまとまった時間が出来たので新バージョンの通勤ツールの開発とSIDETUBEのバージョンアップの追い込み作業をやっています。(こんな時間ですしね・・・・午前6:00です)

以前も思ったことなのですが、最終段階のデバッグ作業をしていると多くのサイト(つまりブログや動画サイト)をみる機会が増えるため、どうしてもそれらに「ひっかかって」しまうのです。普段から効率の悪い日曜プログラマーの作業ですから、ページを見ていないで「さっさ」手を動かせばいいのですが、どうしても「引っかかってしまった」ので今回は書かせてください。


「天台宗トップの住職がチベット問題について涙ながらに語る」

関西ローカルの情報番組・関西テレビ「ぶったま」4月5日放送からのシーンです。この発言を見て涙が出そうになりました。このお坊様(大樹玄承(おおき・けんじょう)師)の心情を察し、そしてこの決断までの苦悩を想像すればするほど、こんな私でも「書いておかなくては後悔する」という気がしたのです。


メッセージの内容は、以下のような内容です(引用先がわからなくなってしまいました・・・)
書寫山圓教寺 大樹玄承師の書簡

 今私達日本の仏教者の真価が問われています。

 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、やむにやまれぬ抗議を表明せずにはいられません。

 私たちは、あくまでも宗教者、仏教者として、僧侶を始めとするチベット人の苦しみをもはや、黙って見過ごす事が出来ません。チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で護ると言うことが、大切な基本です。

 皆さんは、日本の全国のお坊さんどうしているのかとお思いでしょう。

 日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いで来ました。私も中国の寺院の復興に携わりました。

 しかし、中国の寺院との交流は、全て北京を通さないと出来ません。殆ど自由は無かった。これからもそうだと、全国の殆どの僧侶は知っています。

 そして、日本の仏教教団が、ダライラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。 あくまでも宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎて尚、日本の仏教会に目立った行動は見られません。

 中国仏教会が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。

 ダライラマ法王中心に仏教国の歴史を重ねてきたチベットが、今無くなろうとしています。

 私たちは宗教者、仏教者として草の根から声を挙げていかなければなりません。しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。

 このように申し上げるのは、私達と行動を共にしましょうということではないのです。それぞれの御住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えて戴きたいのです。

 オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。

 もしも、宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちは、これから、信者さん、檀家さんに、どのようなことを、説いていけるのでしょうか。

 私たちにとって、これが宗教者、仏教者であるための最後の機会かも知れません。

書寫山 圓教寺 執事長 大樹 玄承

平成20年4月5日
このお坊様が出演された経緯が、番組のコーナーを取り仕切る青山繁晴氏のブログにあります。

ことしの桜花はいつもより長く咲いている。ぼくらに、これが最後の機会だと教えるように。
これも失礼だとは思いますが、引用させていただきます。

▼にんげんも、日本国民も、まだまだ捨てたものじゃないぞ。

 それが今、大樹玄承(おおき・けんじょう)師のチベットに向けたメッセージを聴いてくださった、多くの、ほんとうに思いがけず多くのかたがたの、共通した気持ちではないでしょうか。

 実は、ゆうべ金曜の夜に、関西テレビの小さな会議室で顔を合わせたとき、師の眼には苦悩の色がありました。
 そして、「青山さん、青山さんはブログに良心と勇気と書いてらしたけれど、わたしは、そんな大それた人間じゃありません」とおっしゃったのです。

 ぼくは師の眼を見て、魂の眼を見て、「大樹さん、ぼくがつたないなりに、いつも視聴者のかたがたや国民のみんなに呼びかけているのが、大それた良心や勇気だったことは一度もありません。みんなが、その生活の場で、そのまんま、ほんの少しだけ、小さな歩みを踏み出しましょう、あるいは、ただ胸のなかで考えるだけでもいいのですと、言っているつもりです。明日の生放送は、たいへんなことです。しかし、同時に、小さな最初の一歩です。ありのままの大樹さんの思いを、静かに示していただければ、それだけでいいと信じます」と応えた。

 師は、穏やかに頷かれた。
 師の隣には、師の生きかたを支える、おくさま(尼僧)と、圓教寺執事の金子師がいらっしゃった。
 このおふたりが、この夜に、控えめに、しかししっかりと「どうしたら公平な宗教者としてのメッセージになるか」について意見を述べてくださったことも、師が最後のちいさな迷いを超えて、最終の決意をされることに繋がった。

 師は、まさしく衆生(しゅじょう、命あるもの)の苦悩と共に迷われ、ためらわれつつ、そして、歩幅は小さいのに深い淵を一気に飛び越える、その勇気をみなに示されたのです。

 そこがいちばん、凄いと、ぼくは思います。
 巨大な国家の圧力に淡々と、強靱に、立ち向かい、隅々までしきたりがゆきわたった宗教組織と共存しつつ、にんげんの自由な、自律した意思を示すためには、この迷いを含んだ勇気こそが、有効なのだ。
 ぼくはあらためて、今そう考えます。



何も書けない・・・・・でも、今日はここに「記録」しておくことにしました。中国政府が悪いとか、福田首相が弱腰だとか、いろいろ言われています。頭の上のハエ(自分の国の問題)もおえない我々日本人が、他人の国のことを言えるか!という意見もあることを知っています。人は立場や状況によって、いいように変節し、解釈し、多様な意見をいう・・・・。それでいいのかもしれません。

ただ、友人、親、親戚、もしかしたら自分の葬式で、「ありがたい説教」を「ありがたく聴く」ためには、この問題をどうしても軽視できないのですよね。

「ありがたい説教」を説く「お坊さん」が、ほかの国のことだから「あそこの坊主はしょうがない」という意見だとしたら、その話をありがたく聞けるのでしょうか・・・・

我々が同じ立場で、自分たちの信教(風習)に根付く葬式の方法やその宗教自体を否定されて、「ありがたい説教」を話してくれる自分達の「お坊さん」の頭をもし殴られたら、私達はどうするのでしょうか・・・



ほかにも、今回のチベットの蜂起について気になったブログです。

北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)-産経新聞:福島香織記者のブログ

時系列:チベットとその周辺で今まで何が起きたか。
時系列:チベットとその周辺で今まで何が起きたか(つづき)
You Tube、つながるようになったね?
蟄居解禁。

※久々に復活していてチョット安堵・・・・でも上記のお坊様のように苦しいお立場のようです。 そしてこの中からも引用させてもらいます。

■今、中国ではCNN、BBCなど欧米メディアのチベット問題報道が「偏向報道」「バイアスがかかっている」との大キャンペーンが張られており、今週末(5日付)の中国英字紙チャイナデーリー一面トップ記事は「中国のインターネット上で西側メディアのアンフェアな報道に怒った114万人以上が抗議の署名を展開している」というものでした。


■このネット世論が、政府の情報統制によって誘導された結果なのか、あるいは民衆のナショナリズムの発露なのかは、まだ見極めがつきません。が、このブログで以前から何度も触れているように、中国政府はもっか、民意重視政策を掲げており、ネット世論が政策を左右する状況が生まれています。ですから、中国が民意(ネット世論)の方向性に反して、今さら、西側メディアの言い分を正しいと認めたり、「人面獣心のダライ・ラマ14世」と対話を行うなどということは、相当難しい状況といえます。


■つまり中国においてはすでに、今回の事件の真相は「ダライ・ラマ集団が裏で手をひいた、独立派の僧侶、チベット族のよる凶悪なテロ」ということになり、西側メディアがいうところの民族弾圧、宗教弾圧は、中国にとっては、果敢なる「テロ」との正義の戦いということで確定しているわけです。


■これらの事情をふまえ、当ブログは、チベット騒乱に関しては、中国の立場にたったものではなく、また異なる双方の立場を配慮した公平客観な報道でもなく、「今回の件に関して、ダライ・ラマ14世に何の責任もない。今回の事件は中国政府の民族政策の過ち、宗教弾圧が生んだ結果」と主張する私の友人たちの意見に激しく傾いたスタンスをとることにしました。中国の正義に反する考えかもしれませんが、それは中国憲法のみとめる「言論の自由」の範疇におさまるものとして、チベット問題についても、情報発信を続けていく所存です。


■考えてみれば、この世の中でバイアスのかかっていない報道・言論などありえない。すべて、記者や発言者の思想、経験、人間関係などを反映しているという点でバイアスがかかっている、と読者の方々にも認識してほしいと思います。また、物事のすべてを正義、不正義で判断することもできないのではないでしょうか。このチベット騒乱の件に関しては、私は中国の正義と、チベット族の正義、ふたつの異なる正義が、一刻もはやくどこかで折り合いがつくようにと願っています。そのためには、圧倒的な強権と、情報・報道統制力によって、一方の正義が完全に抹殺されることのないよう、弱者の立場にたってモノを考えるという、報道者の原点に立ち返ることが、私なりの正しさであると考えています。


■この蟄居期間、情報統制がきびしく、言論の不自由な国における報道の有り方、自分の記者としての来し方などをいろいろ考える時間がありました。また、産経新聞の多くの関係者の血の滲む努力の結果、98年からようやく再開した中国総局を維持しつつ、言論や報道の自由を最大限にまもることの難しさも考えさせられました。おかげで、頭の10円はげは、500円玉がふたつはいるくらい大きくなりました。これ以上広がったら、スキンヘッドにしちゃおうかな、と鏡をみつめては、ため息がでるきょうこのごろです。


■というわけで、報道や言論の自由と、公正さ。そして多いときで一日6万近いアクセスがある記者ブログというもののスタンスやその影響力、各方面に波及するご迷惑やトラブルなどについて、私なりに深く内省もし、書くべきか書かざるべきかと逡巡もし、その上で覚悟もきめて、このブログを再開することに致しました。当ブログを応援してくださるかたもいれば、苦々しく思っていらっしゃる方も大勢いらっしゃるかと思いますが、そのいずれにもコメント欄は門戸をひらき歓迎いたします。(でも「殺すぞ」「犯すぞ」とかそういう罵詈雑言は、脅迫罪などに問われる可能性があるので気をつけてください)。今後とも北京趣聞博客をよろしくお願いいたします。


苦悩してますね・・・・ごめんなさいね・・・・でも引用したかったので・・・・

この問題について発言できない多くの人がいることがなんとなくわかる・・・・

多くのマスコミ人も、少しでも中国に関係ある方々も、優秀な官僚も、企業の幹部達も多くの人々が実はこのチベットの悲劇の問題を知っている。でも声に出せない。そんな重さが蔓延している・・・・

なんだか、やだなー・・・・・

上のお二人の声にのっかて書いている自分もほんとうにいやだ・・・

このブログに書くことで、せめてもの償いにならないかな・・・・・・・・


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