動画引用を考えてみる[ついでにメディアリテラシー]

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著作権問題を考えるとき、「引用」という定義にぶつかってしまいますよね。

ブログでは、この「引用」によって相当の記事が書かれています。

「記事見出しの掲載は、著作権侵害だ!」とチョット昔に騒がれましたが、
インターネットの世界では「リンク」され、「引用」されることで蜘蛛の巣のように伝播していく特性のメディアなので、「ネットで公開するならば、それを覚悟しろ!」というような認識が大多数の意見のような気がします。

特に「テキスト」の引用は、日常化・常態化して「有意義な議論(?)」へのステップになっている気がします。

さて動画共有が発達したこの時代に、「テレビ番組を引用」「テレビ番組にコメント」するサイトが出現してきました。以前のブログにも書きましたが、「お笑いものもんた劇場」や有名な「ニコニコ動画」「フニフニ動画」などです。

この動画引用というか、批評というか、あげ足取りというか・・・・いろいろな解釈ができる最近の現象を考えてみます。

ここに、興味深い考察のブログ記事があります。

YouTubeに提示された映像批評の新しい形がどう転ぶかは、みのもんたさんが握っている

踊る新聞屋-。」というネットと新聞の話題を提供してくれるブログの記事です。詳しくは、上記ブログを読んでいただきたいのですが、その中に

活字媒体のテキストは、コピペが容易なこともあって、もう引用し放題というか、ほぼ無法地帯といっていい情況になっている。論評・評論であると誰もが納得できるウェブページがあれば、記事を丸ごとコピペして「ひどい話ですね」と管理人のコメントが付されただけのブログもある。やっぱり、それはダメだろ。

 対してテレビ・映像というのは、記録が面倒だし、印象のメディアであるだけあって活字ベースで批評することがなかなか難しい。
 放送映像に限らず、表現行為を批評・論評する際、その素材を提示することが欠かせないのだけど、映像についてはこれまで技術的に不可能だった。それだけに YouTubeの登場は映像批評に新しい方法を提示したわけだし、それをベースに露骨とはいえ「お笑いみのもんた劇場」的に素材を編集するというのは、テレビ批評の新しい一つの形としてありなんじゃないかと考える。

 現行では、著作権法的にはアウトだろう。ただ、みのさんは社会的影響力が大きいし、それだけにこんな無茶苦茶な発言を恐らく少なくない視聴者(がどう捉えているかは別にして)に届けている以上、批評を受けるの当然であるということに異論はないはずで、問題はその方法論について社会的合意を得ることだ。

 放送された映像を使ってテレビ批評をする際、映像の著作権について、ここら辺のせめぎ合いがこれから話題になれば、ウェブとテレビ報道・番組の関係が面白いことになるかもしれない、とふと思ったわけなのです。

 とはいえ、報道の定義自体なんだかよくわからない情況で、じゃぁ新聞協会加盟媒体のみなのか、匿名ブログはどうなのかというときりがないのでそれはそれとしておいて、もし「お笑いみのもんた劇場」の映像が、テレビ局による著作権法を盾にした削除要求に屈せざるを得ないのなら、それはちょっと違うのではないでしょうかと、少しだけ声を大きくしたい。

後半部分をほとんど引用してしてしまいましたが、私はとっても同感してしまうのです。
(本文中にある行為そのままです(笑))


メディアリテラシーという言葉があります。Wikipediaによれば、

情報メディアを批判的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。

とあります。

インターネットの時代に、この「能力」こそが非常に大事だといわれます。私自身、この能力が高いと思えませんが、相当年も取っているので「物事の多面性」くらいは理解しているつもりです。

多面性をもつ事柄に「真偽」が存在するともいえないのでしょうが、一方的な意見の垂れ流しのみしか「情報取得」できない時代から、いくらかは進歩した現在のこの状況を肯定的に考えることで「評価・識別する能力」が高まるのなら、それも相当よいことのように感じるのです。

踊る新聞屋」サイトの中にもあるように、放送への批評のコンセンサスを取る時代がきたのではないでしょうか?

私も含め、批評にさされることに「恐怖」を感じる方も多いでしょう。
特に、「放送」は、いままで「個人的に記録」されても「恒久的にアーカイブ」されない「流しっぱなし」のメディアで、その影響力のわりに「批評」に弱い、ともすれば「謝罪してれば過ぎてしまう」とも思える行動に「不信感」「猜疑心」を抱く人が増えてきた気がします。

「映像業界」のすみっこのほうににいる私からすれば、「制作者」は相当の努力と「試行錯誤」を繰り返して「番組」なり「作品」を作っています。その「知人」たちを否定する気にはなれない。ただ、時代の変化に対応する時期になったという認識は持たないといけない気がします。

この「批評」の部分を、「著作権問題」にすり替えてしまうのはどうも良くないということを感じて欲しいのです。

まとまりのない話になりましたが、このあたりの問題を考えると未来のメディアとかジャーナリズムとかみえてくるような気がなんとなくしてくる・・・・

参考までに、2つの動画作品を・・・・

森達也監督「ドキュメンタリーは嘘をつく

<a href="http://rimo.tv/ja/ch/3282">Rimo</a>

全ての作品・番組は、主観であり、その立場によって「見方が違う」という作品です。どれも正しいし間違っている。だから柔軟な考え方を得るためには、多くの情報が発信され、引用され、批評されるこの時代を喜ぶべきだなと思うのですけど・・・

ただ、問題は多いですよね・・・・・それを見抜くのもメディアリテラシー・・・・自信ないけど・・・・・

もうひとつ、

巨匠黒澤明監督の「羅生門」(原作:芥川龍之介「藪の中」)(※著作権侵害だと思いますが見つけてしまったので・・・)

人は自分の立場で「真実」を曲げて解釈できる存在なのです。
学生の頃はよく理解できなかったけど・・・・・

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