「責任」と言うのは いと易し?
「無責任男」という言葉は、今年亡くなられた植木等さんの代名詞だった。
今年から、昨日やめた「総理大臣」がそう言われるのかもしれない。
ただ、この2つの「無責任男」という言葉は、時代のせいか相当に違う印象があります。
植木さん活躍の時代には、「無責任」という言葉に明るさがある。
この2007年、明るさが全く無い・・・
「責任を問う」時代が、行き過ぎてしまった気がする・・・
「寛容さ」が無い時代は生きずらい・・・
今日の社説を読むと分かります。
息苦しい社会だから、「責任」をどこかに求めたいのは誰も同じ。
「自分は責任を全うしている」と思うのも勝手だが、その裏に「後ろめたさ」を感じないのか?
責任追及結構!でも責任を追求しすぎて、社会が萎縮していることを感じないのか?
責任を追求しすぎて、何も生まれない停滞した社会がいいか?
ただ、その責任追及を「面白・おかしく」消費している自分の存在がある。
それに気づいて、いつも落胆してしまいます。
「無責任」な私のたわごとです。でも今こんな風思ってしまいます。
このぼろブログには不釣合いな書き込みでした・・・・
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